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柄栗塚
織田と今川との小豆坂の戦いにまつわる柄栗塚。
今はとても静かな場所ですが、かつてはこの地も大変な戦場となったようです。
そして、戦死者を哀れにおもった村人が、この地に塚を築いたということです。
ガイドブックには載らない、でも確かな歴史の一片が、ここにも残っていました。合掌。
柄栗塚
石垣に囲まれた円形の塚で、戦国時代に築かれ竜泉寺町では現存する最も古い史蹟のひとつである。
この塚は小豆坂の戦いで亡くなった人々を供養するために造られたと伝えられている。小豆坂の戦いは、岡崎城がまだ今川配下にあったころのできごとで、織田勢が安城より矢作川を渡り和田から攻めてきたとき、今川勢は藤川あたりから兵を進め、生田ケ原や小豆坂を中心に戦火を交えた。
そのおり、この辺りも戦場となり多くの兵が落命し、これを哀れんだ村人が慰霊のために築いた塚である。
小豆坂の戦いは数年隔てて2度おこなわれた。
第一次合戦 天文11年(1542年)8月~
第二次合戦 天文17年(1548年)3月~また、この塚には杉と松が植えられていたことから、「杉松塚」と呼ばれていたこともある。
平成30年 竜泉寺町
杉と松が枯れた後には桧葉が植えられ、昭和30年代前半まで枯れて白くなった桧葉の大木が1本残っていた。
小豆坂の古戦場跡と、柄栗塚の直線距離は、約3km。
自転車で約15分。
塚の周りには、青々とした田園風景が広がっています。
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