瀧山寺関連史跡のまわり方
![滝山寺 マップ](https://delight-net.biz/delight-wp/wp-content/uploads/takisanji_14.jpg)
駐車場
第1から第3駐車場まであり、今回は第3に駐車。
宝物殿の入口にも近い駐車場です。
![滝山寺 駐車場](https://delight-net.biz/delight-wp/wp-content/uploads/takisanji_01.jpg)
絶対に外せない宝物殿
![滝山寺 宝物殿](https://delight-net.biz/delight-wp/wp-content/uploads/takisanji_02.jpg)
聴いて得する名ガイド
拝観料400円。※2024年2月現在
御歳90を越える名ガイドの方が、丁寧に解説してくださいました。
奈良、平安、鎌倉時代、そして戦国期や現代に至るまでの国の重要文化財などの数々を、ガラス仕切りのない間近から見られる贅沢さ。
不在の場合は、入口のインターホンで。
![滝山寺 宝物殿 パンフレット](https://delight-net.biz/delight-wp/wp-content/uploads/takisanji_15.jpg)
なんてったって聖観音像!
ココがすごい!
- 運慶父子作と言われている
- 源頼朝と等身大
- 胎内に頼朝のアゴひげ、歯がある
- 間近で好きなだけ拝観できる
- 艶っぽい後ろ姿も拝観できる
ココは気をつけて
- 館内撮影禁止
- アゴひげと歯は胎内のため観られない
国指定重要文化財 滝山寺
建造物
滝山寺三門
一棟 明治34年3月27日指定
滝山寺本堂
一棟 明治37年2月18日指定彫刻
木造観音菩薩・梵天・帝釈天立像
三軀 昭和56年6月9日指定
木造日光月光菩薩立像
二軀 令和5年6月27日指定
木造十二神将立像
十二軀 令和5年6月27日指定滝山寺は、「滝山寺縁起」によると、役小角の草創と伝えられており、保安年間(1120~1124年)に比叡山の僧仏泉永救が再興した天台宗の寺院である。
以後本寺は、古代末期から奈良時代にかけて藤原氏・熱田大宮司家・三河国守護足利氏とその被官衆といった中央権力と密接する有力な檀家を持つことによって経済基盤を固め、隆盛を誇った。近世では正保2年(1645年)将軍家光の命により本堂の隅に東照宮が建立され、幕府の保護のもと繁栄を続けた。三門(仁王門)は、文永4年(1267年)の建立で、和様建築の伝統を保つ本市現存最古の建築物である。
本堂は、4度目の造営と推定され、様式的に禅宗様の影響を強く受けた南北朝期の建築である。
観音菩薩・梵天・帝釈天立像は「滝山寺縁起」によると、源頼朝の従兄にあたる僧寛伝が頼朝追善のため本寺境内に建立した惣持禅院に安置したもので、仏師運慶とその子湛慶による制作であるという。木造日光月光菩薩立像と木造十二神将立像は「滝山寺縁起」によると、仁治3年(1242年)に作り始め、建長2年(1250年)までに完成したとされ、十二神将立像の持物は稀で貴重である。
岡崎市教育委員会
![](https://delight-net.biz/delight-wp/wp-content/uploads/talk-icon.jpg)
なんと!瀧山寺の僧に、頼朝のいとこがいた!
運慶に像を作らせ、頼朝の遺髪と歯を入れることができたのは、寛伝がいたからなのか。
歴史と伝統の本堂
![滝山寺](https://delight-net.biz/delight-wp/wp-content/uploads/takisanji_03.jpg)
中学校校庭沿いの階段を進みます。
行きは階段の道を行きましたが、帰りは坂道の車道を利用。
お手洗いは車道の途中にありました。
![滝山寺 本堂](https://delight-net.biz/delight-wp/wp-content/uploads/takisanji_06.jpg)
瀧山寺本堂は、鎌倉時代のものだそうです。
檜皮葺の屋根、歴史を感じる風格、まさに圧巻です。
階段の両サイドにある樽は何でしょうか?
樽の意味
よく見ると、樽の横に『発酵』と書いてあるのでしょうか。
こちらの方に聞いたとろこ、役目を終えた八丁味噌の漬け樽を譲り受けているのだとか。
![滝山寺 樽](https://delight-net.biz/delight-wp/wp-content/uploads/takisanji_10.jpg)
中には水が張ってあります。
![滝山寺 樽](https://delight-net.biz/delight-wp/wp-content/uploads/takisanji_09.jpg)
樽の周りにはススが。
辺り一帯焦げたような匂いが立ち込めています。
![滝山寺 樽](https://delight-net.biz/delight-wp/wp-content/uploads/takisanji_11.jpg)
というのも、これは鎌倉時代から続く『鬼まつり』によるものでした。※2024年は2月17日(土)実施
私たちは2024年2月24日(土)に伺いましたから、丁度1周間前に行われたということですね。
お祭りが始まる前は消防車が来て、本堂にこれでもかと水を掛けるのだそうです。
国の重要文化財である本堂で火を煌々と燃やす訳ですから、燃えない為の工夫もぬかりないですね。
鐘楼堂
5代将軍 徳川綱吉公寄進の鐘。
![滝山寺 綱吉公寄進鐘](https://delight-net.biz/delight-wp/wp-content/uploads/takisanji_12.jpg)
![滝山寺 国重要文化財](https://delight-net.biz/delight-wp/wp-content/uploads/takisanji_05.jpg)
胸の鼓動が高鳴る『重要文化財』看板。
葵紋の灯籠。
日本三大東照宮の一つがここにある
本堂のお隣に、瀧山東照宮がありました。
が、2024年5月までは修復中で入れず。
![](https://delight-net.biz/delight-wp/wp-content/uploads/takisanji-tosyogu_04.jpg)
山門ではなく三門
本堂から三門までは約800m距離があります。
歩いて10分、車で2分ほど。
瀧山寺は山門ではなく、三門と書くのだそうです。
![滝山寺 三門](https://delight-net.biz/delight-wp/wp-content/uploads/takisanji_16.jpg)
門の中に入ることはできないので、遠目に仁王像を観ました。
岡崎市のHPによると、15世紀前半頃作ということです。
また、扁額は藤原経朝が書いたものだということです。
2024年大河『光る君へ』にも出ている書の達人 藤原行成(役渡辺大知さん)の、8代目の子孫にあたる方だそうです。
![滝山寺 三門 仁王像](https://delight-net.biz/delight-wp/wp-content/uploads/takisanji_23.jpg)
![滝山寺 三門 扁額](https://delight-net.biz/delight-wp/wp-content/uploads/takisanji_26.jpg)
ふと屋根を見ると、何かありますね。
愛嬌のある鬼?
四隅で屋根を支えていました。
![滝山寺 三門](https://delight-net.biz/delight-wp/wp-content/uploads/takisanji_24.jpg)
![滝山寺 三門](https://delight-net.biz/delight-wp/wp-content/uploads/takisanji_20.jpg)
![滝山寺 三門](https://delight-net.biz/delight-wp/wp-content/uploads/takisanji_19.jpg)
![大工飛騨権守藤原光延 滝山寺 三門](https://delight-net.biz/delight-wp/wp-content/uploads/takisanji_25.jpg)
三門の工事の際に、一部を切り間違えた大工さんが、罪の意識から身投げをしたとの言い伝えがあるそうです。
こちらは、その塚だそうです。
![](https://delight-net.biz/delight-wp/wp-content/uploads/talk-icon.jpg)
ブログ書き終えて気付いた。
瀧山寺、滝山寺、どっちの『タキ』を使えばいいの?