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源義朝をかくまった場所
かつて、この地が海に浮かぶ小島だった頃、平治の乱で敗れた頼朝の父 源義朝は、平氏から逃れるため知多半島へと向かう途中、こちらに立ち寄ったとされています。
結果的には義朝は知多半島で最期を迎えることになるのですが、その前に、この地で漁師や村人に親切にもてなされたということです。
現在、海は埋め立てられ陸続きになりましたが、当時の『源氏島』の名残が、地名として残っているということです。
源氏島のあった場所は、現在は源氏塚公園になっています。
源氏塚
源義朝が平治の乱(1159)で平清盛との戦いに敗れ京都から知多半島へと舟で逃れる途中、当時小島であったこの地へ立ち寄ったと伝えられている。
蟹江町教育委員会
それ以降この辺りは源氏島と呼ばれるようになったとされている。
地名に残る源氏の名
源氏、源氏島、源氏前の地名が今も使われています。
所在地
源氏塚公園
〒497-0050 愛知県海部郡蟹江町学戸7丁目170