2019年6月1日(土)
名古屋城に入らずに、名古屋城を巡るという教室に参加してきました。
地下鉄名城線『市役所』7番出口からスタート。
見学記録
そもそも、今ある名古屋城は、かつて徳川家康が築いた名古屋城域の一部分に過ぎないということなんですが。
その当時、家康が築いた名古屋城の痕跡を、歩きながらたどっていきました。
1. 名古屋城、実はもっと広かった
私が名古屋城と思っている場所は、水堀・体育館・能楽堂に囲まれた、いわゆる入城料を払って観るゾーン。
しかし、実際はもっと広かったようなのです。
少し見にくいかもしれませんが、下地図の「中区」の文字の右上辺り、「高速都心環状線」の文字があるところに陰影があります。
これが、堀と土塁を表しています。
ということは、ここまで名古屋城域ということなんですね!
市役所や県庁も、スッポリ入っています。
それにしても、この地図すごくわかりやすい!
国土地理院さまさまです♡
よく見ると、「三の丸」「東外堀町」「東大手駅」など、お城の名残発見。
外堀
さあ、その外堀を見に行きます。
名古屋市地下鉄「市役所前」7番出口から、南に歩いて5分。
大津橋に着きました。
まさに「堀」と、その掘った土でできた、「土塁」がありました。
これが実際の「外堀」。
普段、車で何気なく通っていたところが、実は外堀だったなんて!
この外堀は、かつて瀬戸電という『お堀電車』が走っていたそうです。
瀬戸から焼き物をここまで電車で運び、近くの堀川から舟で更に運んでいったということです。
ボ~ッと眺めていると、なんだか電車風景が見えてきそうな気がします。
何も知れなければ、雑草が生い茂る変哲もない風景。
しかし、事実を知った今は、ノスタルジックな雰囲気を存分に堪能できる場所へと変わりました。
まさに、お金では買えない、時空旅行。
図書館の石垣
大津橋から、西に歩いて約10分の『愛知県図書館』。
この図書館、以前家紋のことを調べるために、一度来たことがありました。
そして、驚くことに、図書館のエントランスが石垣なんです!
お団子や三角、四角のマークが到るところにあるではないですか。
矢穴(石を割った時にできる「クサビ=矢」の跡)も沢山残っていました。
食いしん坊の私が一番に見つけたのは、【お団子】みたいな刻印。
切断された土塁
外堀は、ところどころ大きな道に分断されながらも、確かに土塁として存在していました。
スパッと切断された土塁の断面。
外堀探検は、これで一旦おしまい。
さて、そもそもお城はなぜこの地に築かれたか。
そんな疑問、抱いたこともないなぁ。
先生からの投げかけ・・・何の思いも浮かばない。
家康が、清洲からわざわざ町ごと引っ越した理由とは?
ズバリ、それは地形なのだそう。
当時、尾張の城としてあったのが清州城。
もともと織田のお城だった清州城は、1600年の関ヶ原合戦後は徳川の城になりました。
しかし、清洲は地形から水害に悩まされていたこともあり、熱田台地という少し小高い土地(名古屋)へ、町ごと引っ越すことにしたということです。
町ごと引っ越すって、スゴイ発想と行動力。
濃い緑が、『熱田台地』。
小さな正方形が、天守のあるところ。
小高い台地の角っこに、『名古屋城』を築城したことが、地図から読み取れます。
2. 空堀と水堀がある訳
名古屋城には「空堀」と「水堀」がありました。
それにも理由があるようなのです。
それは、台地の上にある堀か、下にあるか堀かの違い。
雨が降っても、台地の上の堀に溜まった水は、台地の下の水堀へ流れて溜まり、上の堀は空になる、ということだそうです。
水堀
辰之口水道大樋
この水堀の水を流す樋は、今は使われていませんでした。
ダイブしそうな松
一体、どうしてこうなったのでしょう。
清須櫓
この、やぐら。
清洲城の材料を使っていることから、その名も「清洲櫓」。
清州城を、ここでは「やぐら」として使っているなんて、名古屋城の規模の大きさ半端ないです。
天守と櫓の違いとは?
一見、天守と見間違うような櫓ですが、そもそもそれらの定義ってなんなのでしょうか。
結論から言うと、『象徴的なものかどうか』だそうです。
両者の構造的な違いもなく、建っている場所も関係ないのだそう。
極端な話、この隅っこにあったとしても、「これは天守だ」と定義づけられれば、それは天守になるということなんですね。
ミステリアスな穴
石垣の下の方に、小さな穴が。
これって抜け道?
何かを祀ったほこら?
これってもしかして、スゴイもの発見しちゃった系?
では、ありませんでした。
明治以降に造られた、排水のための鉄格子。
この鉄格子の、左が谷積み?右が布積み?
先生の声が遠くて聞こえなかった。
という言い訳。
積み方、一向に覚えられない。
崩れた石垣
なだらかな緑のところが、石垣が崩れたところだそう。
このゾーンには、一般客は入れないそうです。
そう言えば以前、TV『ブラタモリ』で、タモさんたちがココに立って、地形の話を楽しそうにしていたのを観ました。
いつか、修復されるのでしょうか。
ここが、水堀と空堀の境。
空堀
お~本当に空だぁ。
これが、台地の効果なのですね。
しぜん
ずっとクローバーだと思っていたものが、実は「片喰」だったという事実。
クローバーは、葉に白い筋が入っているものなんですね。
勉強になります。
グラデーションな、あじさい。
堀川
突然ですが、堀川は、人工の川なんだそうです。
日本酒イベントで何度か堀川に来ていますが、正直もう少し綺麗になってくれたらもっと行くのにな~と密かに思ったりして。
なぜ、わざわざ川を造ったの?
その理由は以下の3つ
- 築城の際に出る、水はけ用
- お城のお堀の役目
- 物流の為の水路
なるほどね~
中橋
川からの荷揚げに使われた場所が、残っていました。
昭和34年9月26日 伊勢湾台風潮位
船着き場・堀留跡
普段は使われない船着き場。
イベント時などに使用されているようです。
奥に見える橋に、「この先障害物有り通行不可」と書いてあります。
ぐるっと回って、その橋の方へ行ってみます。
橋のたもとに、碑がありました。
ここから南側の堀川は福島さん時代、北側は明治昭和の時代に造られたもので、黒川を通り、矢田川まで続いているようです。
堀川で、カツオが獲れていたとは!!
高知の藁焼き鰹食べたい!(^q^)
城下町
美濃路
美濃路の案内板もありました。
四間道
四間道と書いて、”しけみち”と読む。
四間→しけん→しけ
屋根神様
四間道から少し脇に入ると、
『屋根神様』と呼ばれているものがありました。
屋根に突如として現れるその雰囲気は、独特なものがあります。
屋根の上に置くことによって、水災害から守る目的もあったようです。
子守地蔵尊
屋根神様の奥には、「子守地蔵尊」。
五条橋
出ました、五条橋。
清洲越の際、この橋も一緒にお引越。
熱田神宮、秋葉神社、那古野神社祭神の社。
昭和11年の、東から西を見たときの、五条橋の風景写真。
兵隊に送り出した息子を、一目見たいと立ち並ぶ母親たち・・・せつないです
那古野神社
東照宮
お隣には東照宮。
おまけコーナー
フォトジェニックな場所
名古屋市地下鉄『市役所前』7番出口。
オブジェと一緒に撮るのも、映えそうです。
とんがり帽子の『加藤清正像』とお城。
ナイスコンビショット。
と言っても、ここからだとよく見えません。
見えづらいので、文明の力を使ってズームアップ。
こちらの像は、能楽堂の前にあります。
丸の内の意味
丸=廓のことだそうです。
丸の内=廓の内
台地(地形)を感じる場所
五条橋から東を見ると、やや上がっている地形が見られます。
これがいわゆる熱田台地。
逆にその熱田台地から、五条川方面を見ると、下ってる下ってる。
歩いて回って疲れた分、熱田台地の高低差を存分に体感できた、名古屋城に入らない名古屋城巡りでした。
地形図
お城情報
名称
名古屋城
別名
蓬左城、楊柳城、柳が城、亀尾城、鶴が城、金城、金鱗城、金鯱城
いっぱいあるんですね~!
城地種類
平城
築城年代
慶長15年(1610年)
築城者
徳川家康
主な城主
徳川氏
遺構
櫓、門、庭園、石垣、水堀、空堀
外には外堀、土塁あり
所在地
〒460-0031 愛知県名古屋市中区本丸1-1
電話
052-231-1700
開城時間
9:00~16:30
本丸御殿、西南隅櫓へのご入場は16:00まで
※2019年8月31日まで開園時間を17:30まで延長(建物内へのご入場は17:00まで)
休城日
12月29日~1月1日
催事等により変更となる場合あり
入城料
大人500円
小・中学生無料
団体大人30名以上450円、100名以上400円
名古屋市65歳以上100円
スタンプ設置場所
正門総合案内所
正門改札(注:16:20迄)
東門改札(注:16:20迄)
アクセス・駐車場
【車】名古屋高速都心環状線「丸の内」出口から北へ5分
【駐車場】正門前・二の丸東、共に有料(30分180円)
【電車】地下鉄名城線「市役所」徒歩1分
【市バス】「市役所」
※私たちが見学した時の情報です。
最新情報と異なる可能性がありますので、公式情報等をご確認ください。