見学記録
地名は歴史案内人
野場西城跡をGoogleマップで見てみると、周辺に池や城の文字が見受けられます。
この辺りには、城の他にも池があったことが伺えます。
地名から、かつての姿を想像するもの楽しいですね。
カギは菱池!
調べていくと、この辺りは、かつて菱池という池があったことが分かりました。
昔の地図と比較してみると、今ある田んぼは、池の生まれ変わりということなんですね。
野場西城は菱池に突き出た、非常に攻めにくい場所に築城されていたこともよく分かりました。
歩いてみよう
325号線沿いに、120m徒歩すぐと案内板が立っているので分かりやすいです。
土塁
よくぞ残っていてくれました!
感動のあまり、思わずため息が。
史跡 野場西城土塁 幸田町指定文化財
野場西城は、15世紀頃、野場一帯を治めていた大須賀氏によって築かれた城館と言われています。
幸田町教育委員会
この地は、北側に菱池があり、南側には中島へつながる浜道が通る、水陸の交通の要地でもありました。
大須賀氏はこの地に城館を築き、東条吉良氏、松平氏・徳川氏に仕えました。
武勇に優れた一族であったようで、徳川二十将に数えられる大須賀康高のような人物を輩出しています。
この野場西城ですが、三河一向一揆の際、夏目吉信等によって「籠野羽郷之古城」となり、徳川家康の命を受けた、深溝松平伊忠によって攻め落とされた、と伝えられています。
池に囲まれ攻めにくい場所にあったものの、落城。
かつての菱池を望む
現在は田んぼや畑が広がっていました。
近くには『赤川』が流れていました。
史跡情報
- 野場西城跡
-
〒444-0128 愛知県額田郡幸田町野場城
- 遺構
-
土塁