当店の商品は、楽天市場店よりお買い求めいただけます。 ディライト・グッズ楽天市場店

勝幡城 塩畑から勝幡へ 愛知県の城

目次

織田信長の生まれた地 稲沢

勝幡駅 織田信秀 土田御前 織田信長

2019年2月10日(日)
織田信秀と土田御前(どたごぜん)の子、織田信長生誕の地とされる、勝幡城(しょばたじょう)へ行ってきました。
信長の祖父、信定が築城。
もともとは「塩畑」という地名だったそうですが、勝ち旗を意味する「勝幡」に改めたそう。
なるほど、今でもその地名が地図の中で見受けられますね。

見学記録

勝幡城 地図

(1)勝幡城推定復元模型

まずは地図の1番。
名古屋鉄道津島線『勝幡』駅にある、復元模型を見に。

勝幡城

『勝幡』駅向かって右側に、一連のモニュメントがあります。

↑右端に見えているのが、仲睦まじい親子三人の像。
拡大すると、こんな感じ。

勝幡駅 織田信秀 土田御前 織田信長

土田御前が抱いている赤ちゃんが、信長ですね。
赤ちゃん時代の信長が見られるなんて、凄い稀かも♪と何か得した気分。

勝幡駅 勝幡城推定復元模型

今はもう、勝幡城の姿形はほとんど残っていないそうです。
ここでしっかり目に焼き付けて、城跡へ向かうことにします。
この模型の周りはベンチがあって、小休憩もできます。

勝幡駅 勝幡城 織田信長

模型の隣には信長のモザイク画。

(2)勝幡城織田弾正忠平朝臣信定古城跡

続いて2番の古城跡へ。
勝幡駅から車で2~3分。歩いて10分くらいでしょうか。
かつて城があった場所へGO!

勝幡城

三宅川の橋を渡ると、大きな看板がありました。
こうして目印になる案内があると安心しますね。

勝幡城

大きな日光川沿いを、北上します。
この川も含め、この辺りに城があったということです。
この川底には城の痕跡が眠っているかも?
それを思うと、不思議とこの川が神秘的に見えたりして。

勝幡城

川沿いの右側に、石碑らしきものを発見。
ここが、古城跡のようです。
降りる階段があります。

勝幡城

石碑と案内板。

勝幡城

近寄ってみると、

勝幡城

『織田弾正忠平朝臣信定古城蹟』と書かれてあります。
信長の祖父の名前。

勝幡城

稲沢市指定史跡
『勝幡城跡』

永正年中(1504~1521)織田信定によって島津支配の拠点として築かれた。
その子信秀は永正7年(1510)この城で生まれ、父の跡を継ぎ、尾張守護斯波氏の三奉行の一人として清州城に出仕した。
その子織田信長も天文3年(1534)この城で生まれたとする説が有力である。

―稲沢市教育委員会―
(『勝幡城織田弾正忠平朝臣信定古城跡』解説板より)

なるほど~。
信長の祖父が建てた城で父も生まれ、信長も生まれた、ってことなんですね。

(3)勝幡城跡

最終地点は3番の勝幡城跡。
今の古城跡から車で1分、歩いて3~4分。
とにかくアッという間に着きます。

勝幡城

道路に面したところに大きな案内板。

勝幡城

この勝幡城跡地は信長の祖父織田信定公が「天の利」「地の利」「和の創造」を実行する拠点と決め、津島港と尾張国府(稲沢市)の松下とを三宅川で往来し、尾張西部を手中とした。
信長の父信秀公が津島を拠点にして勢力を拡大し巨万の富を権勢拡大に使い尾張の雄となった。
信長の誕生は1534年5月、平手政秀公による養育で「うつけ」として就業し情報を万人よりもらい天下人となり平定に努めた。
2010年3月、「信長生誕を育む会」を結成、多くの方々のご協力により戦国時代の「砦」を当地に再現し永遠の記念とする。

―2010年3月20日―
信長生誕を育む会 会長 野島精二
(『勝幡城跡』解説板より)

 

勝幡城

親切に階段が設けられていたので、そこからお邪魔します。

勝幡城

立派な石碑。
住宅との堺に何やら解説板が。
う~ん、ちょっと読みにくい。

勝幡城

城跡や石碑の説明が書かれているようですが、野ざらしのため消えかかっていて残念。
よ~く見ると、トンカチで石碑の裏を軽く叩いてみてください、とあります。
石の硬さを体感できる、ということなんですかね。

勝幡城

これから行かれる方、ぜひトンカチでトントンしてみてください。

勝幡城

『石碑のご案内』

文化財 勝幡城址の碑です。
規模 高さ2.3m幅0.82m厚み0.21mで、石は縄文時代の根府川石(ねぶかわいし・ねぶかいし)です。
1915年に裏面に書いてある9人の人を中心に地域の住人により愛知県知事松井茂いお願いして建立されました。
石が硬質のため明確に読み取れます。
この石を使った日光大猷寺の石畳は有名で、代四大将軍徳川家綱公の命で敷き詰められたのです。
この規模の石は現在採取できません。

(『勝幡城跡』解説板より)

確かに遺構は残っていないかもしれませんが、ここから織田氏、信長が羽ばたいていったかと思うと、同じ地に立つだけでも価値があるように感じました。

地形図

お城情報

名称

勝幡城(しょばたじょう)

城地種類

平城

築城年代

永正年間(1504~1521年)

築城者

織田信定(信長の祖父)

主な城主

織田信定、信秀、信長
武藤雄政(武藤掃部)

所在地

(1)勝幡城推定復元模型
〒496-8001 愛知県愛西市勝幡町五俵入2266

(2)勝幡城 織田弾正忠平朝臣信定古城蹟
〒490-1323 愛知県稲沢市平和町城之内

(3)勝幡城跡
〒492-0000 愛知県稲沢市平和町城之内105

開城時間・休城日・入城料

史跡のみのため該当なし

アクセス

(1)名古屋鉄道津島線「勝幡駅」
(2)勝幡駅から車2分 徒歩10分
(3)古城跡から車1分 徒歩3分

※私たちが見学した時の情報です。
最新情報と異なる可能性がありますので、公式情報等をご確認ください。

勝幡城

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

歴史初心者だからこそ気になるポイント、初めて出会う感動、少しずつ理解が深まる喜びなどを、私目線で気ままにつぶやいてます♪

三河生まれ尾張在住
好きなことばは『三河武士』
ディライト・グッズ副店長 & Web屋助手

目次