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郡上八幡城 続日本100名城No.141 岐阜県の城

目次

お城 見学記録

日本最古の木造再建城

2019年4月22日(月)
岐阜県、郡上八幡城へ行ってきました。
郡上八幡城

桜満開、うぐいすの鳴き声も響き渡って、春たけなわでした。
新城という山奥で生まれ育った当店長。
鳥の鳴き声や姿から鳥の名前がわかるようで、何度も教えてくれるのですが・・・。
私が自身を持って答えられるのは、ウグイスと鳩くらい。
根気強く教えてくれる店長を尻目に、毎回新鮮な感動を味わえる、わたしです。

郡上八幡城

郡上八幡城

案内図 沿革

郡上八幡城

頂上の駐車場に車を停めました。
天守閣までの行きを赤色、天守閣からの帰り道を青色で記してあります。
車は一方通行なので、お気をつけください。

首洗い井戸

駐車場のすぐ脇にあったのが、この首洗い井戸。

郡上八幡城

[st-midasibox title=”首洗い井戸跡” fontawesome=”” bordercolor=”” color=”” bgcolor=”” borderwidth=”” borderradius=”” titleweight=”bold”]

この一帯は駐車場として利用されるまで、杉や雑木の生い茂った湿地帯で、案内板の建つほとりに一基の浅井戸が潰されていた。
井戸のまわりには蟇蛙(ひきがえる)が群棲し、昼も薄暗い陰惨な場所であった。

今は埋め立てられて跡かたもないが、その昔はこの浅井戸は「首洗いの井戸」と言い継がれ、慶長の合戦に際して討ち取られた寄せ手の名のある武士の血や泥で汚れた首が洗い浄められ、首実検に供されたという。

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お手洗いを済ませ、いざ登城。
苔の生えた石垣がお出迎え。

郡上八幡城

ここの石垣を上から見ると、↓こんな感じです。

郡上八幡城

郡上八幡城

二手に分かれる道。
左の階段を登りたい衝動にかられつつも、右のお城入り口方向へ進みます。

郡上八幡城

力石

郡上八幡城

[st-midasibox title=”力石” fontawesome=”” bordercolor=”” color=”” bgcolor=”” borderwidth=”” borderradius=”” titleweight=”bold”]

この二つの石は、寛文7年(1677年)城主遠藤常友が城を修理するため領内から多数の人夫を集めたとき、その中の一人である大和町の作兵衛(通称、赤髭)が城下の河原から背負ってこの地まで運び上げたものである。(重さ約350キロ・長さ約1メートル・厚さ約30センチ)
奉公の村上貞右衛門がその力量のすぐれているのをみて激賞すると彼は感涙し、たちまち力尽きてその場で卒倒し息絶えてしまった。

奉行は憐れに思ってこの石の使用を禁じたが、昭和8年(1933年)に天守閣を建設する際この石が草の中に捨てられているのをみた古川七兵衛氏が作兵衛の心根が世に忘れられたのを嘆き、この地に碑として安置して顕彰しその礎石にことのあらましを記したものである。

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およし塚(人柱)

郡上八幡城

[st-midasibox title=”およし塚(人柱およしの碑)” fontawesome=”” bordercolor=”” color=”” bgcolor=”” borderwidth=”” borderradius=”” titleweight=”bold”]

郡上八幡城改修の際に人柱となった、神路村(かんじむら:現 大和町神路)の娘”およし”を偲んで建てられた石碑。
城山の 露と消えゆく 人柱

【およしが祀られている場所】
天守前(桜の丸)・・・悟竹院奥の院
城山麓 善光寺・・・およし観音堂

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郡上八幡城

[st-midasibox title=”人柱「およし」について” fontawesome=”” bordercolor=”” color=”” bgcolor=”” borderwidth=”” borderradius=”” titleweight=”bold”]

この八幡城は、永禄2年(1559年)遠藤盛数によって築城された。
その後、八幡城の合戦などを経て石垣も崩れ落ち、大修理を加えなければならない時期がおとずれた。
多くの人々の努力により修理が重ねられたが、急斜面の工事は困難を極めた。

この時神路村(現大和町神路)の百姓吉兵衛の美しい一人娘およしは、進んで石運びにも加わり、人々に勇気を与えた上、遂に自分の身を捧げてこの城を守ろうと心に定め、「人柱(ひとばしら)」となって地中に入った。
およしは数え年17才であったと伝えられている。
美しい乙女の魂が城を永(とこし)えに守り抜いたというかなしくも美しい伝えを人々は忘れず現在もおまつりを続けている。
八幡町

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郡上八幡城

郡上八幡城

[st-midasibox title=”郡上八幡城 沿革” fontawesome=”” bordercolor=”” color=”” bgcolor=”” borderwidth=”” borderradius=”” titleweight=”bold”]

戦国時代末期の永禄2年(1559年) 郡上領主 東常慶(とうのつねよし)と遠藤盛数(えんどうもりかず=千代の父親)との間で郡上支配をめぐる赤谷山城の戦いが起こった。
その際、盛数がここに人を構えたのが郡上八幡城の創始である。
その後、盛数の子慶隆(=千代の兄)が郡上を統一し、城や城下町を建設するかたわら、信長・秀吉に従って各地を転戦、天正16年(1588年)加茂郡小原へ転封となった。
代わって城主となった稲葉貞通(いなばさだみち)は天守台等を設け本格的な山城として大改修を行った。
慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いが起こると、遠藤慶隆は、東軍の徳川家康に味方し、郡上八幡城の戦いを起こした。
同年 慶隆は郡上藩主として復帰し、同9年改修を終えた城に入った。
その後、慶隆の孫常友は城下町や城の大改修を行い、幕府より名実ともに「城主」として認められた。

遠藤氏が近江三上へ転封後、井上氏・金森氏が相次いで入部するが、宝暦年間に起こった宝暦騒動(郡上一揆 1754年~1758年)により金森氏が改易となる。
以後、代わって入部した青山氏により100年以上の治世が続くが、明治4年(1871年)の廃藩置県によって郡上藩4万8千石は終息した。
現在の天守は昭和8年(1933年)に再建された模擬天守で、木造の再建城としては日本最古である。
平成29年10月制作

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郡上八幡城

やっとここで入城料を払います。
職人手漉きの美濃和紙でできた御朱印(御城印)もあるようです。(300円)

天守の中は史料館

郡上八幡城

ワクワクしながら、階段を登ります。

郡上八幡城

ドドンと青空に映える天守。
左側にとりわけ古い門が見えます。

郡上八幡城

↓裏から見るとこんな感じです。(注:通り抜けはできません)

郡上八幡城

さて、城内へ進みます。
歴代城主ののぼりがお出迎えしてくれます。

郡上八幡城

左から、遠藤氏、井上氏、青山市の甲冑

郡上八幡城

↓頂上は遠藤盛数(千代の父親)時代、中腹の城は稲葉貞通大改修以降のもの。

郡上八幡城

城内はまるで鶯張りのようでした。

郡上八幡城

「あ、ここ行った!」「ここ次行きたい!」
お城好きさんは、パネルだけでも楽しめますね。

郡上八幡城

こんなに載せておいて今更ですが、城内は写真撮影OKです。

郡上八幡城

窓からの眺望

天守の窓から南を見下ろすと、桜の丸。
さっき通ってきた受付からの門も見えます。

郡上八幡城

郡上八幡城

実際の風景と、地図の解説との見比べ。
説明があると、本当によくわかります。

郡上八幡城

郡上八幡城

郡上八幡城

これが赤谷山城のあった山です。

郡上八幡城

郡上八幡城

[st-midasibox title=”赤谷山城の戦い~郡上八幡城の創始~” fontawesome=”” bordercolor=”” color=”” bgcolor=”” borderwidth=”” borderradius=”” titleweight=”bold”]

吉田川を挟んで向側に聳(そび)える山は赤谷山(あかだにやま)(=東殿山:とうどやま)で、現在も石垣など貴重な遺構が残っている(赤谷山城跡)。
赤谷山城は鎌倉時代より郡上領主であった東氏(とうし)の東常慶(とうのつねよし)により天文10年(1541年)に築城された中世山城で、乙姫谷・地獄谷・赤谷といった断崖・急斜面に挟まれた天然の要害(=要塞)であった。

戦国時代末期の永禄2年(1559年)、東氏の家臣であった遠藤盛数が郡上支配をめぐり赤谷山城の戦いを起こした。
八朔の祝い(旧暦8月1日)の席で暗殺された兄・遠藤胤縁(たねより)の弔い合戦でもあった。
その際、盛数が対岸のこの地に人を構えたのが郡上八幡城の創始である。
8月14日 遠藤軍1千人もの軍勢が赤谷山城を攻め、10日及ぶ激戦の後 落城した。
ここに300年以上に渡る郡上領主の東氏は滅び、遠藤氏の統治する時代となった。

東殿山(とうどやま)という呼称は、江戸時代中期の郡上藩主 金森頼錦(かなもりよりかね)により東氏の旧跡にちなんで呼ばれるようになった。

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郡上八幡城

滝山古戦場の碑というのがあるようです。
どんな戦いだったのでしょうか。
旅する中で、こうしてまだ知らないいろんな歴史と出会うことも、また楽しみの一つでもありますね。

郡上八幡城

天守史料館を出て、松の丸へ。

郡上八幡城

さ、帰路につきます。
車の方は、帰り道も一方通行です。

郡上八幡城

丁寧に案内の看板が到るところにあります。
安心して移動できます。

郡上八幡城

山内一豊と千代の像

山を下りていくと、行きにも見た公園のところに出ました。
山内一豊と千代の像です。

郡上八幡城

ちょうど、枝垂れ桜が満開を迎えていました。

郡上八幡城

こちらの城山公園内に、大改修後にできた本丸跡の碑がありました。

郡上八幡城

郡上八幡城

[st-midasibox title=”土霊水” fontawesome=”” bordercolor=”” color=”” bgcolor=”” borderwidth=”” borderradius=”” titleweight=”bold”]

八幡城は郡城または積翠城あるいは、城と称し、永禄2年(1559年)に遠藤六郎左衛門盛数によってちくじょうされて以来5氏、19代の居城となったが天正16年(1588年)稲葉貞通が遠藤氏に代って領有したのち城郭を大改修して、この地に本丸を構え、この門内にあたるここに井戸を掘った。

爾来(じらい=それ以来)夏は冷たく、冬暖かい滋味ゆたかな水が浪々として尽きず稲葉・遠藤・井上・金森・青山の歴代城主が御殿を構えて日々の飲料水として愛用したいわれを持つものである。

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八幡城 大手門跡

町へと更に下りていくと、大手門跡発見。

郡上八幡城

今では遺構や面影はないものの、その存在をひっそり案内板が教えてくれています。

郡上八幡城

ちょっと寄り道。
美濃錦さんのうな丼。
登城で汗だく腹ペコ。
美味しくいただきました。

郡上八幡 うなぎ

地形図

お城情報

名称

郡上八幡城(ぐじょうはちまんじょう)

別名

積翠城(せきすいじょう)
郡上城・虞上城(ぐじょうじょう)

城地種類

山城

築城年代

永禄2年(1559年)

築城者

遠藤盛数

主な城主

遠藤氏、稲葉氏、井上氏、青山氏

遺構

本丸(旧二の丸)、松の丸、桜の丸、石垣

所在地

〒501-4214 岐阜県郡上市八幡町柳町一の平659

電話

0575-67-1819(郡上八幡産業振興公社)

開城時間

3~5月 9:00~17:00
6~8月 8:00~18:00
9~10月 9:00~17:00
11~2月 9:00~16:30
(※入城は15分前まで)

休城日

年末年始のみ(12/20~1/10)

入城料

大人310円
小・中学生150円
20名以上大人260円
20名以上小中学生100円

スタンプ設置場所

郡上八幡城一階

アクセス・駐車場

【車】:東海北陸自動車道 郡上八幡インターから約10分
【駐車場】:山頂(20台無料)と中腹(山城公園=一豊と千代の像があるところ)にあり
【電車】:長良川鉄道 郡上八幡駅よりタクシーで約10分
【バス】:岐阜バス等 城下町プラザ下車 徒歩約15分

※私たちが見学した時の情報です。
最新情報と異なる可能性がありますので、公式情報等をご確認ください。

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この記事を書いた人

歴史初心者だからこそ気になるポイント、初めて出会う感動、少しずつ理解が深まる喜びなんかを、私目線で気ままにつぶやいてます♪

三河生まれ尾張在住
好きなことばは『三河武士』
ディライト・グッズ副店長 & Web屋助手

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