城・史跡をあるく 愛知県の城・史跡

大高城跡(桶狭間合戦)愛知県の城

2019年5月16日

見学記録

2019年4月20日(土)
大高城(今川方)と、それを睨むようにあった2つの砦(織田方)。
今回は、「名古屋おもてなし武将隊」の初代講師でもあられる、戦国史跡ナビゲーター 七種英康(さいくさひでやす)先生の教室(毎日文化センター主催)に、参加してきました。

大高城

案内板

今回参加した史跡巡りの教室は、計4回のコースからなる『桶狭間合戦』をテーマにしたもの。
今日はその一回目。
JR大高駅で集合し、約2時間の教室。
鷲津砦と丸根砦を巡ってから、ここ大高城跡へ来ました。
松平元康(のちの徳川家康)が兵糧入れに成功したことで有名なお城なんですって。
兵糧ってお米とかの食料ですよね。
それを届けることが、どうして成功したと褒められるんだろうと、ここを巡った時には思っていました。
はじめてのおつかいじゃあるまいし?
いやいや、周りに敵がうじゃうじゃいる中で、味方の飢えてる城にご飯を届けたんだよ!
いや~そんなこととは知らず。
元康すごいですね。

大高城
坂道はありますが、それほどきつくはありません。

大高城

『大高城跡』

(指定地面積 40,613平方メートル)
付 丸根砦跡・鷲津砦跡

知多半島の脊梁山地の末端近くに、西側が開けた丘陵上に築かれた東西約106m、南北約32mの山城である。
室町時代、永正年間(1504~1521年)に花井備中守によって築かれたものと伝えられる。

戦国時代、天文・弘治年間(1532~1558年)の頃には、永野忠氏父子が居城していたが、はじめ今川氏に属し、後に織田氏についたため、今川方の鳴海城主山口左馬之助に攻められ、今川義元の家臣鵜殿長照が入った。

永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いのときに、松平元康(徳川家康)が織田方の包囲の中を兵糧の運び入れに成功し、そのまま城を守った。
元康は義元が討たれ、今川方が敗走するまでいて、今川方撤退後に父祖の城である岡崎城に入った。

大高城は戦略上の価値を失い廃城となったが、元和2年(1616年)尾張藩家老清水忠宗が城跡に館を構えたが、明治3年に廃止された。

現在は、本丸・二の丸とこれを分ける内堀が良く残っているが、外堀土塁などは急斜面の地形を安全上の理由から改変し、昔の面影は薄い。
丸根・鷲津の両砦とともに昭和13年国の史跡に指定された。
(名古屋市教育委員会)

大高城
こういう碑を見ると、さぁいよいよだな、と気持ちも高ぶります。

大高城

二の丸

坂道を登って、右側を見ると、原っぱが広がっていて、とても気持ちのいい二の丸。

大高城

反対、左側へ目をやると、大高の町が一望できます。
大高城

織田方の鷲津砦と丸根砦が、遠くに見えました!
お互い睨み合っていたんですね~!(ΦωΦ)大高城

そうそう。
↓この簡易トイレ。
ここは国の史跡なので、届け出をして受理されないと草も勝手に刈ってはいけないんですって。
なので、トイレなんてもちろん勝手に作れない。
ということで、すぐに撤去できるよう、簡易トイレが置かれているそうです。
昔には勿論トイレなんて無いわけですが、今登城する私達にとっては、こうした気遣いありがたいですよね。
大高城

さて、お次は本丸へ。
大高城

本丸

進行方向に向かって右側。
案内か地図がなければ分からないような道をいきます。
大高城

本丸があったところは、今は草や木に覆われています。
あ、こちらの方が、七種先生であります。大高城

八幡宮

武士のみが参拝できた八幡社。
村人は町にある八幡社。
身分によって、分けられていたなんて驚きです。
今日は、自分が武士になった気分で参拝。(-人-)大高城

大高城

城山八幡社

由緒書によれば、大高城主花井備中守が鎌倉の鶴岡八幡宮から分霊し、ここと字町屋川の二箇所に祀りました。
その時期は明確ではありませんが、1500年代初頭と考えられています。
江戸時代までここは武士のみが参詣でき村人は町屋川の八幡所を詣ることになっていました。
今この神社は本町地区町内会により維持管理され、毎年9月および年越しには住民の幸福を願い、祭事が執り行われています。
神前には寛大10年(1670年)にこの城跡に屋鋪(やしき)を構えていた志水忠時の寄進による石灯籠一対が名残を留めています。
脇の手の水鉢は、天保8年(1837年)村の有力者山口源兵衛が寄進したものです。
(大高歴史の会)

大高城

大高城

場所は変わって、村人のための八幡社がこちら↓。大高城

大高城

由緒書

社伝や原田家(ご鎮座以来明治の半ばまで長らく社職として奉仕)記録等によりますと、治承4年(1180年)源頼朝が鶴岡八幡宮のご分霊を勘請、相模国小林郷丸山にご鎮座、その後大高城主花井備中守がこれを大高の里へ遷(うつ)され、現在のご鎮座地と城山(大高城址のある地)の両地に祀られました。
この大高に遷し祀られた年代については明らかではありませんが、鎌倉時代の初期西暦1200年頃と思われます。

文明年間(1469年~1486年)に水野和泉守が城主となりその子大膳等が田地30貫文を当社へ寄付されましたが、やがて天正年間にこの田地等は豊臣氏の手に渡ったようであります。

徳川家康が桶狭間合戦の行われた永禄3年(1560年)の前に今川義元の命を受け兵粮が欠乏していた大高城(当時今川方)への兵粮入れを成功させたことは大高城の兵粮入れとして古来有名ですが、この家康は永禄4年(1561年)20歳のとき、当社に参詣ご祈祷をされています。

右のように当八幡社は極めて由緒のある歴史をもたれ、従って当大高町においても氷上姉子神社に次ぐ名社として古来町民の尊崇厚く、大正3年に拝殿、渡殿、鳥居、手水舎等を新築、昭和56年には本殿改築、平成11年には社務所の改築を行い平成14年に拝殿を新築し境内を整備しご社頭はいよいよ栄、今日に至っております。
平成25年5月9日 八幡社

話を大高城に戻しましょう。
鳥居を出て、二の丸に戻ります。
大高城

土橋

三の丸に行くには、この土橋(どばし)を通ります。
このような橋が残っていることも貴重なのかもしれません。大高城

土橋の両端に人が立つと、長さや大きさもよくわかりますね。大高城

三の丸

三の丸も二の丸同様、とても広かったです。

大高城

大高城

なんとなくのどかな風景が広がっていました。大高城

町へ目をやると、小高いことろに建っていたことがわかります。大高城

空堀

いよいよ空堀を見に行くわけですが、三の丸の奥のとっても狭い坂道を下っていきます。

案内がなければ、私だったら分からず帰っていますね。大高城

一見入ってはいけないような感じがしますが、大丈夫。
ここから薄暗い木の中へ入って行くと・・・大高城

THE 空堀!
大高城

この堀、手で掘ったんですって。
大高城

この雰囲気は写真では伝えきれず。
ぜひ現地でお確かめくださいね。
大高城

お城好きの皆さんの話に耳を傾けながら、帰路につきました。大高城

おまけ

大高城から八幡社へ向かう道中、神の井酒蔵さんがありました。
日本酒好きの私は、こちらもまた魅力的。
帰って一杯やるかな。
神の井 酒蔵

地形図

お城情報

名称

大高城(おおだかじょう)

城地種類

平山城

築城年代

永正年間(1504年~1521年)か?

築城者

花井備中守

主な城主

花井備中守、水野忠氏、鵜殿長照、清水忠宗

遺構

本丸、二の丸、三の丸、土橋、空堀、八幡宮

所在地

〒459-8001 愛知県名古屋市緑区大高町城山

電話

052-625-3878(緑区観光推進協議会事務局)

開城時間・休城日・入城料

該当なし

アクセス・駐車場

【電車】:JR大高駅より南西へ徒歩約10分

※私たちが見学した時の情報です。
最新情報と異なる可能性がありますので、公式情報等をご確認ください。

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