城・史跡をあるく 愛知県の城・史跡

遺構が色濃く残る 三河山中城跡|愛知県岡崎市

2021年3月18日

見学記録

今回訪れたのは、三河地方にある岡崎市の『山中城跡』です。
障子堀が有名な、静岡県三島市の方ではありません。
同じ名前のお城って、結構あるものなんですね。
そして、ここ三河山中城は、徳川家康の祖父、松平清康が攻めた城でもあるということです。

三河山中城址

国土地理院地図より 加工した地図

岡崎市東部市民センター

名古屋から1時間弱、名鉄電車「名電山中駅」で下車。
城跡へ行く前に、東部市民センターに寄りました。
三河山中城址 岡崎市東部市民センター
ジオラマがあります。
尾根伝いに、曲輪や堀があるのがよく分かります。

三河山中城址
マップが玄関に置いてあり、1枚いただきました。
QRコードで解説も見られるようです。

山中城址遊歩道

駅から歩いて15分。
城跡入り口へ到着。
このアプローチに、期待も上がります。

三河山中城址

三河山中城址
イノシシよけの柵が、山全体に張り巡らされていました。
出入りする際は、柵の施錠確認が大切ですね。

馬出し

三河山中城址

二の曲輪 解説板より

虎口(出入り口)のを守るための小さな曲輪。
馬は居なくても、馬出し。
「出馬という言葉もあるように、「馬」には打って出るという意味合いもありますね」と、引率の先生。
なるほど~。

三河山中城址

各所に名称看板。QRコード解説付。

三河山中城址

東曲輪

三河山中城址

上から狙われたら、一溜まりもないです。
三河山中城址

北東尾根曲輪

三河山中城址

三河山中城址
狭い急な道を降ります。

恐る恐る歩く私に、同行者の方が杖を貸してくださいました。
折りたたみ杖、軽くて丈夫!
これは頼もしい味方です。
三河山中城址

竪堀

草に覆われて分かりづらいですが、竪堀があります。
三河山中城址

主郭

三河山中城址

約1時間で、主郭に到着。
三河山中城址

三河山中城址

岡崎市指定史跡 山中城跡

山中城は県下最大級の城域を誇る山城であり、東海道と吉良道との分岐点を見下ろす標高約200mの山上に立地し、軍事上の要地であった。

築城は西郷氏、あるいは西郷氏の所領を引き継いだ岡崎松平家とも伝わる。
大永4年(1524)、岡崎松平氏の詰城であった山中城を安城松平清康が風雨を衝いた夜襲により掌握した。
清康はついで明大寺の岡崎城も掌握し、松平家の本拠を安城から現在の岡崎城へ移すなど、山中城奪取は安城松平家の結束と一門の再集結をはかることとなった。

天文17年(1548)の小豆坂合戦時には今川氏の重要拠点となり、「医王山」の名前で史料上の確認ができる。
永禄3年(1560)桶狭間の合戦後には松平元康(徳川家康)が奪取し、徳川氏の支城となった。

西郷氏時代の城域は主郭・二の曲輪を中心に尾根上に曲輪を配置し、北側の谷筋斜面には竪堀がみられる。
また、各尾根の先端には堀切が設けられ、敵の侵入を阻止している。
小規模ながら初期的な馬出しもみられるなど、西三河を代表する戦国時代の山城である。

二の曲輪

ぐるっと周りには、土塁が残っています。
三河山中城址

虎口

三河山中城址

堀切

三河山中城址

堀切の上から、狙われています。
三河山中城址

今でこそ木々に覆われている城跡。
その昔は、敵に火をつけられたらあっという間に燃えて落城ということになりかねません。
そうならないためにも、木々は切り倒し燃料などにし、根っこは残し、土山が崩れないようにしていたということです。
三河山中城址

地形図

お城情報

名称

三河山中城(みかわやまなかじょう)

別名

資料では「医王山」としても確認されている

城地種類

山城

築城年代

大永4年(1524)~不詳

築城者

西郷氏?岡崎松平氏?

主な城主

松平信貞
今川氏
松平氏

遺構

曲輪、堀、土塁

所在地

〒444-3514 愛知県岡崎市羽栗町長寄

開城時間・休城日・入城料

該当なし

本日出会った人数

5~6人(同行者は含まず)

アクセス・駐車場

電車

名鉄「名電山中」駅から徒歩約15分(約1km)

愛知県岡崎市羽栗町田中
こちらの専用無料駐車場が便利です。
4~5台停められるようです。

三河山中城址

※私たちが見学した時の情報です。
最新情報と異なる可能性がありますので、公式情報等をご確認ください。

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