見学記録
2019年5月11日(土)
前回の大高城に続き、今回は桶狭間合戦にまつわる、鳴海へ行ってきました。
鳴海城跡
天神社(旧成海神社)
天神社(あまつかみしゃ)があるここも、鳴海城域だそうです。
今は、城跡公園との間に道が通っていることもあって、ここもかつての鳴海城と言われてもピンときませんでしたが、その広さを体感することはできました。
鳴海城跡
根古屋城ともいい、応永年間(1394年~)安原宗範の築城といわれる。
名古屋市教育委員会
永禄3年(1560年)桶狭間の戦いでは、今川方の猛将岡部元信がこの城に配され、義元が討たれた後も最後まで立てこもって奮戦した。
その後、佐久間信盛、正勝らが城主となったが、天正18年(1590年)廃城となったと伝えられる。
『尾張志』は東西75間、南北34間で四面に堀跡、本丸と二・三の丸にも堀を残すと記している。
今現在は、丹下砦跡近くに成海神社はありますが、かつてはこの地にあったようです。
天神社を後にして、鳴海城跡公園を目指します。
途中、お城風のコミュニティーセンターを横目に、歩くこと2~3分。
鳴海城跡(公園)
『鳴海城跡公園』に到着。
城跡は公園になっていました。
公園内から町を見下ろすと、遠くに成海神社が見えます。
緑がこんもりとしたところが、成海神社のあることろです。
そして、その成海神社の左側に『丹下砦跡』があるようです、が見えません。
公園をぐるっとまわり、
細い道を歩きます。
その道から右を見ると、『鳴海城跡』公園の側面が。
公園内では感じられなかった城感が、ジワ~っと味わえました。
東福院
鳴海城跡公園を後にし、お次は『東福院』。
なぜ、ここへ寄ったかと言うと・・・
真言宗智山派に属す。
東福院解説板
古くは鎌倉街道に存在し、寛永年代に、この地へ再建される。
根古屋(鳴海)城の廃材を用いた山門が現在残る。
本尊は大日如来。
山門脇に絵天井の残る観音堂があり、境内には学問、芸術、財宝の女神、弁財天が祀られている。
その鳴海城の廃材を使ったというのが、こちら。
表からは見えないので、一歩中に入らせていただき、裏側を見るとありました。
鳴海城 城門ノ梁(天正年間)
成海神社
こんもりとした緑の丘、成海神社まで歩くこと15分。
成海神社
平安時代初期の宮中の年中行事や制度などを記した『延喜式(えんぎしき)』に載る「愛智郡成海神社」にあたるとされる格式の高い神社である。
名古屋市教育委員会
朱鳥元年(686年)の創建といわれ、日本武尊(やまとたけるのみこと)、宮簀媛命(みやすひめのみこと)、建稲種命(たていなだねのみこと)を祭神とする。
初め天神山(根古屋)に在ったが、応永(1394~1428年)のころ安原宗範(やすはらむねのり)が鳴海城(根古屋城ともいう)を築くにあたり、この地に移された。
現本殿は棟札にあるように延宝5年(1677年)の建立と見られる。
立派な鳥居をくぐって、この先にある丹下砦跡を目指します。
立派な神社に、驚きました。
日陰は涼しく、澄み切った空気に暫し癒やされます。
中の方に、更に鳥居がありました。
とても広い敷地だということがわかります。
丹下砦跡
『成海神社』から歩いて3~4分。
『丹下砦跡』に来ました。
とは言っても、『丹下砦跡』は案内板も何もありません。
『光明禅寺』というお寺さんの裏辺りが砦跡ということなのです。
お寺をぐるっと回り込んで、裏手へ向かいました。
この坂道の先は、並んで歩けないくらいの、細い道。
登りつめたところで、先生が「高低差を見てください」と気付かせてくれました。
(坂道がきっついな)なんて弱音吐いてる場合じゃないですね。(^^ゞ
善照寺砦跡
善照寺砦へ行く前に、鳴海城と善照寺砦の地続き上に堀切があったことも、地形から見ることができました。
黄緑線が「堀切跡」
赤線が『善照寺砦跡』
(※↑先生からいただいた資料をお借りしております)
鳴海城(鳴海小学校)を背に、善照寺砦方向を見ると、その高さがよく分かりました。
高低差のあるところに住むのは大変かもしれませんが、砦跡に我が家があるというのも稀で価値があるように思います。
その名も『砦公園』。
善照寺砦跡
永禄2年(1559年)、今川方の猛将岡部元信が守る鳴海城に備えて、織田信長が築いた三砦の一つである。
名古屋市教育委員会
永禄3年桶狭間の戦いのころには、佐久間右衛門と舎弟同左京亮が守っていたが、5月19日、桶狭間に今川義元を奇襲する直前、信長はこの砦の下に兵を集結したといわれる。
史跡巡り教室に参加する朝読んだ漫画、『桶狭間戦記』4巻にも載っていました。
現在公園内に、↓こんな感じの物見櫓的な台もありました。
もちろん登りました。
気持ちはこんな感じで。
予習も復習もこの漫画にお世話になりました。
おすすめです!
反対の出入り口から撮ってみました。
なんとなく雰囲気ありますね。
中島砦跡
三砦最後は、こちら『中島砦跡』。
個人所有地に碑が建っているのですが、家主さんのご厚意で、自由に見学させてもらえる状態になっていました。
中島城址の石碑。
扇川が二手に分かれるところに、『中島砦』がありました。
こうした川もうまく利用して、砦はつくられれたんですね。
地形図(鳴海城跡)
史跡情報
名称
鳴海城跡(なるみじょう)
丹下砦跡(たんげとりで)
善照寺砦跡(ぜんしょうじとりで)
中島砦跡(なかじまとりで)
成海神社(なるみじんじゃ)
東福院(とうふくいん)
別名
鳴海城跡:根古屋城(ねごやじょう)
城地種類
鳴海城跡:平山城
丹下砦跡:平山城
善照寺砦跡:平山城
中島砦跡:平城
築城年代
鳴海城跡:応永元年(1394年)
丹下砦跡:永禄2年(1559年)
善照寺砦跡:永禄2年(1559年)
中島砦跡:永禄2年(1559年)
築城者
鳴海城跡:安原備中守宗範
丹下砦跡:織田信長
善照寺砦跡:織田信長
中島砦跡:織田信長
主な城主(守将)
鳴海城跡:山口左馬之助教継、岡部元信、佐久間信盛
丹下砦跡:水野帯刀、山口守孝、柘植玄蕃頭、真木与十郎、真木宗十郎、判十左衛門
善照寺砦跡:佐久間信盛、佐久間信直
中島砦跡:梶川高秀
遺構
鳴海城跡:土塁、空堀
所在地
鳴海城跡:〒458-0801 愛知県名古屋市緑区鳴海町作町87(鳴海城跡公園)
丹下砦跡:〒458-0801 愛知県名古屋市緑区鳴海町丹下
善照寺砦跡:〒458-0801 愛知県名古屋市緑区鳴海町砦3
中島砦跡:〒458-0801 愛知県名古屋市緑区鳴海町下中13(個人敷地内)
開城時間・休城日・入城料
該当なし(公園や石碑のみのため)
アクセス・駐車場
鳴海城跡:【電車】名鉄鳴海より北へ徒歩約10分
丹下砦跡:【電車】名鉄鳴海より北へ徒歩約20分
善照寺砦跡:【電車】名鉄鳴海より北東へ徒歩約10分
中島砦跡:【電車】名鉄鳴海より南東へ徒歩約5分
成海神社:【電車】名鉄鳴海より北へ徒歩約20分
※私たちが見学した時の情報です。
最新情報と異なる可能性がありますので、公式情報等をご確認ください。