織田信長と今川義元の戦い、桶狭間合戦。
桶狭間で亡くなる二日前の5月17日、義元は愛知県知立市へ侵攻したんだとか。
知立城、牛田城、今崎城の三城。
恥ずかしながら、知立市は「あんまき」と「かきつばた」の印象しかなかった私ですが、戦国時代だけでなく、様々な時代の歴史が色濃く残っていることは想像もしていませんでした。
見学記録
出発は名鉄知立駅。
学生時代よく利用した駅なので、開発中の駅に驚き。
2~30年でこんなに変化していくのに、何百年も前の歴史と出会えるなんて、何だか奇跡にも近いような気がしてきます。
知立駅から徒歩5分。
リリオ・コンサートホールの旧東海道が通る交差点。
北西へ進むと、刈谷道という信号機がありました。
これは、あの水野家の刈谷城へ続く道なのだそう。
知立城
かつて、知立城のあった場所は、公園になっていました。
もとは、知立神社の神主である永見氏の居城。
総持寺(長勝院 於万の方生誕地)
於万の方は、家康との間に生まれた結城秀康のお母さん。
その方の誕生した地ということで、石碑がありました。
牛田城
場所は変わり、知立駅から一駅離れた牛田駅周辺。
アパート名にもあるように、ここはまさに丘。
周辺より、少し小高いところに位置しています。
よくわかる高低差
牛田城跡
そんな小高いところに、牛田城の跡がありました。
川や崖っぷちの高低差を利用して、正に天然の要塞。
猿渡川
かつては、この道のずっと奥の方まで、川幅があったようなのです。
少し低くなっていたので、なんとなく想像できました。
それにしても、かなり大きな川だったんですね。
猿渡川は、猿が渡った伝説から名付けられたのだとか。
近隣の工場の入り口にも、門番のお猿がいました。
今崎城阯(来迎寺古城)
地図で確認してみると、ありました。
古城、足軽、的場などなど。
さむらい塚
来迎寺内の、向かって右手方向に裏道へ続く通路がありました。
そこから、墓地や来迎寺小学校の校庭沿いに歩いて行くと、畑の中にこんもり高い場所が見えてきます。
上がってみると、石碑がありました。
桶狭間合戦は織田方の勝利ではあるものの、その影にはこうして幾つもの命が消えていったんですね…。
次項では、周辺の史跡を紹介します。