周辺の史跡
鎌倉街道
東海道が出来る前の道、鎌倉街道。
いざ、鎌倉~!
在原寺
時は平安、雪平(行平)鍋で有名な在原行平の弟、在原業平ゆかりの地。
歴史マップもあり、散策しやすのは嬉しいですね。
案内板にもあったように、ここから西方に300mのところに、業平塚があるようです。
行ってみましょう。
根上りの松
業平塚へ行く道中、おもしろい松に遭遇。
桶狭間合戦時に、今川軍が鎌倉街道を進軍したと考えられているらしい。
義元公と同じものを見たのかしら…
業平供養塔(業平塚)
名鉄三河線の線路越しに、業平塚が見えてきました。
石碑には『墓所』と刻まれています。
業平が亡くなったのが平安時代の880年ということですから、亡くなった12年後(892年)にここにお墓を建てられたのですね。
有名な人ほど、お墓の数も増えるとよく聞きますが、この方も幾つもあるようです。
そして、ネット検索すると、業平は希代のプレイボーイであると。
この時代は、歌を詠むのが上手いことも、モテ要素だったんですね。
八橋伝承地
そして、遠く京都に続く、鎌倉街道。
京都の八橋も素敵だけれど、こちらの八橋もまた味わい深いものがありますね。
夜泣石
八橋古城
今回訪れてはないけれども、よく登場した無量壽寺。
その無量壽寺を守るために築かれたのが、こちらの八橋古城ということらしいです。
民家と駐車場の間に石碑がありますが、隣の公園から入ることができました。
葦香城阯
先に出た今崎城と同時代に築かれたとされる、葦香城の石碑もありました。
しかし、こちらの石碑の葦香城は、ここにあった訳ではないようです。
大正7年(1918年)に三河鉄道(現在の名鉄三河線)の工事の際に出土したものを、こちらに移したようです。
出土した、大量の人骨と五輪塔。
その一部とおぼしき五輪塔が、置かれていました。
雅なマンホール
知立市の市花でもある、かきつばた。
在原業平の歌も刻まれているタイプもありました。
雅で優雅なマンホールにしばし足を止め思いにふける。
知立は、あんまきとかきつばた、そして様々な時代の歴史が眠る、五感を刺激される街でした。
から衣 きつつなれにし つましあれば
はるばるきぬる たびをしぞおもふ
何度も着て身体になじんだ唐衣のように、長年なれ親しんだ妻が都にいるので、
その妻を残し、はるばる来てしまった旅のわびしさを、しみじみと思うことだ。
お城情報
入城料
すべて無料
アクセス・駐車場
知立城・・・公園になっていますが、駐車場はありません
牛田城・・・住宅街にあり、駐車場はありません
今崎城・・・敷地内に来迎寺はありますが、専用駐車場は見受けられません